寒竹泉美の日常

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新連載|「クロエ荘のまかない薬膳」第2話

新連載|「クロエ荘のまかない薬膳」第2話のイメージ

LIFE SCEBE

 2025年1月から、日本くらし薬膳協会さんの会報誌「ISORROPIA」で短編小説の連載をさせてもらっています。くらし薬膳というのは、身近な食事を通して健康になろうという薬膳の考え方。わたしが物語や登場人物を考えて、物語の状況や登場人物の体質にあった薬膳を、くらし薬膳の主任講師の竹田あやこさんが考えてくれるコラボ作品です。

第2話が掲載された「ISORROPIA」No.2が発行されましたので、こちらにも転載します。今度は夏の話!

※第1話から読みたい人はこちら

第2話 自分を大切にする練習

 寒竹泉美(小説)・竹田あやこ(薬膳監修)

 

 梅雨はどこへいったのか、外はすっかり夏の日差しだった。彩美は何もする気が起きず、午後になってもベッドの上でごろごろしていた。年末年始の休みを返上して、あれだけ必死に書いた漫画は、反響もなく終わってしまいそうだった。次作の依頼も来ない。本格的に万策尽きた。今は原稿料で何とか食いつなげるが、印税は期待できない。単行本化も難しいだろう。

(あんなにがんばったのに……)

 好きな漫画に関してはいくらでも努力できると思っていた。だけど、努力をした分だけ報われるのは、少年漫画の世界だけなのかもしれない。最後のところは運やタイミングだ。自分では制御できないもので決定される。

 このままではお金がなくて干上がってしまう。バイトやアシスタントの口を探さないといけないが、他の仕事をすると漫画を描く体力と気力が削られる。いっそ、漫画家であることをあきらめて、普通に暮らせたら幸せになれるのかもしれない。黒々とした気持ちが体の中を渦巻いていく。

(でも漫画をやめたら、本当にわたしは何の価値もない人間になる……)

 そこまで考えた彩美は、はっと気がついて、

「止まれーっ!」

 と、大きな声で叫んだ。無理矢理ベッドから起き上がる。ネガティブ思考ループに入っている。このループに入ると思考がぐるぐる回り続けて体力も気力も削られてしまう。だから、入ったことに気づいたら考えを強制終了する。それが33年間、ネガティブ思考とともに生きてきた彩美のサバイバル術だった。

 部屋を激しくノックする音が聞こえて、ドアを開ける。ドアの向こうには大きな目を見開いた黒恵が、殺虫スプレーを持って立っていた。

「どこですか?」

「いや、ごめん。違う。ただのひとりごとだから」

「えっ? でも、止まれって言いませんでした?」

「自分に止まれって言ったの。虫に言うよりは効くよ。日本語通じるし」

「なるほど」

 素直に感心している黒恵を見て、彩美は体の中の黒い塊が溶けていくのを感じた。染めていない黒髪と化粧っけがない顔は高校生のようだが、この管理人は自分と同じ年だ。料理は上手だし、薬膳の知識も豊富で、家のことにもよく気がつくし、クロエ荘の管理人としてとても優秀だ。彩美の目には、自分らしく生きられる場所を見つけた黒恵がまぶしかった。

「今日の晩御飯は黒恵ちゃんの薬膳料理、食べようかな」

 彩美の言葉に、黒恵の顔がぱっと輝く。最近の彩美は、黒恵のごはんを食べていなかったから、きっと心配をかけていたのだろう。申し訳ない気持ちが湧いてくる。彩美は素直に自分の気持ちを言うことにした。

「最近頼んでないのは、黒恵ちゃんのごはんが嫌になったとかじゃなくて、何かさ、漫画の連載もなく、仕事もしていない自分が、ちゃんとしたごはんを食べる資格はない気がしたんだよね……」

 黒恵が何か言いたそうな顔をしたのを、目で制して、彩美は続けた。

「でもそれって、虐待みたいだよねえ。漫画の連載のないやつにはおいしいご飯は食べさせないぞってさ」

 黒恵がぶんぶん頭を振ってうなずいている。

「ただでさえ落ち込んでいるのに、そんなことしたらますます元気でないし、体調崩すし、漫画もどんどん描けなくなる。これよくないなあって、黒恵ちゃんの顔見たら気がついた」

「それはよかった!」

 黒恵がはしゃいだ声をあげる。よっぽど心配してくれていたのだろう。それでも黒恵の方から彩美の生活や食事に口を出すようなことはしなかった。彩美が話すのを待っていたのだろう。ひとつ屋根の下にいて、話したいと思ったらいつでも聞いてくれる人がいる。その存在のありがたさが今の彩美には身に染みた。

「何作ろうか。彩美さんはどうなりたい?」

「うーん、自分を大切にできるようになりたいかな……なんて、そんな薬膳はないよね?」

「……ある」

「えっ? あるの?」

「うん。素材とかじゃないけど、その方法があるよ」

 ■□

 黒恵の言う「方法」とは、自分で料理をすることだった。彩美の目の前には鮮やかな色彩の野菜が並べられる。トマト、キュウリ、ズッキーニ、ナス、オクラ。色だけでなく、形もさまざまだ。

「夏野菜は暑い時期に体をクールダウンして、喉の渇きを癒し、汗で失った潤いを補う働きがあるよ」

 言いながら、黒恵は棚から袋を取り出しスパイスを選んでいる。暑い国の香りが漂う。その香りだけで旅をした気持ちになる。

「やっぱり夏はカレーだね」

「うん。カレーのスパイスはお腹を温めて胃腸の働きを助ける。辛すぎると体に熱がこもってしまうけど、夏野菜と一緒にとるとちょうどよくなるよ。あと、冷たいものばかり食べてお腹が冷えていたり、エアコンで手足が冷えているときにもいいかも」

「ココナツミルクは何にいいの?」

「心(しん)の働きを助けるよ」

「しん?」

「東洋医学の考えで心臓や精神や思考の働きを指すんだけど、心は夏の暑さで弱りやすい。心が弱ると気持ちが乱れたり、眠りの質が悪くなったりする」

(なるほど。わたし、心が弱っているのかも…)

 自分のネガティブ思考も暑さのせいだと言われたら、何だか少し気が楽になった。

 野菜を切り終わると、庭のレモングラスを取ってきてとハサミを渡された。外はむっとする熱気がただよっていたが、思っていたほど暑くはなかった。エアコンで冷えた体が解凍される。「シューッとした細い葉っぱ。匂いで分かる」と黒恵は言っていたが、それらしいのは地面から噴き出るように生えた巨大な草の塊しかなかった。匂いをかいだら、確かにレモングラスだ。お茶にする用なのでたくさんとってきてと言われている。葉っぱの根本を、ひとつかみ握って、ちょきちょきと切る。清涼な香りに包まれる。レモングラスはお腹を温めて消化を助けてくれるらしい。

 戻ると食欲をそそるいい匂いが漂っていた。鍋の中に優しい黄色のココナツカレーができていて、彩美の切った野菜が顔を出している。

「おいしそう。他に何を作るの?」

 彩美が聞くと、黒恵は嬉しそうに「生春巻き」と答えた。

「具材はエビと鶏肉と緑豆春雨とニラ。エビと鶏肉は体を温める食べ物で、疲労回復と胃腸の働きを整える。緑豆春雨は夏の湿気を取り除いてくれる。ニラを入れることで体内のめぐりを良くして、解毒やむくみ解消を助ける」

 作業の手を止めることなく黒恵は楽しそうに話す。食卓に具材を入れた皿とライスペーパーが並べられていく。手を洗って食卓に着いた彩美は、今度はライスペーパーに霧吹きで水をかけて具材を巻く役割を担当することになった。またしても重要な役割だ。

 質感の違う野菜を入れて、ペーパーを破かないように巻いていく。食材を選んだり刻んだ炒めたり煮たりするのは、とても手間だけど、楽しい。これを食べる時間を考えるとわくわくする。こんなに楽しいことをなんで普段からしないのだろう、と彩美は考える。クロエ荘のキッチンも冷蔵庫もいつでも使うことができる。検索すれば簡単に作れるレシピはいくらでも見つかる。食材はスーパーにそろっている。難しいことはひとつもない。それに料理をしなくても、コンビニで必要な食材の入ったお総菜を選んで買うことだってできるはずだ。

 だけど、ネガティブ思考に陥ると、そんなひと手間さえ、自分にしてあげたいと思えなくなる。大切にするに値しない自分だと思ってしまう。

「自分を大切にするのって、簡単なのに難しいよね」

 黒恵の言葉に、彩美はハッとして顔を上げた。自分が言いたかったことと同じことを黒恵が言った。それが、彩美には意外だった。

「黒恵ちゃんはそういうのが上手だなと思ってたんだけど」

 黒恵は首を振った。

「下手だから、練習してる」

「練習……」

「練習しないと上手くならないから」

「そっか」

 彩美は微笑んだ。自分は練習もせずにあきらめるところだった、と思った。「努力」より「練習」と言う方が、何だか気持ちが明るくなるのはなぜだろう。自分を大切にできるようになる練習、ネガティブ思考ループに陥らないための練習、漫画で生活できるようになるための練習……心の中でつぶやきながら、彩美は生春巻きを巻き上げる。それは春巻きというよりおにぎりみたいだったが、意外にもクロエ荘の住人には好評だった。

 

◎本日のまかない薬膳

・夏野菜のココナツカレー

・エビと鶏肉のビッグ生春巻き

・レモングラスティー

 

(つづく)

初出:くらし薬膳会報誌「ISORROPIA」2025 JANUARY No.2