寒竹泉美の日常

作品紹介

新連載|「クロエ荘のまかない薬膳」第3話

LIFE SCEBE

2025年1月から、日本くらし薬膳協会さんの会報誌「ISORROPIA」で短編小説の連載をさせてもらっています。くらし薬膳というのは、身近な食事を通して健康になろうという薬膳の考え方。わたしが物語や登場人物を考えて、物語の状況や登場人物の体質にあった薬膳を、くらし薬膳の主任講師の竹田あやこさんが考えてくれるコラボ作品です。

第3話が掲載された「ISORROPIA」No.3が発行されましたので、許可を得て、こちらにも転載します。

※第1話から読みたい人はこちら



第3話 クロエ荘の見学者

 寒竹泉美(小説)・竹田あやこ(薬膳監修)

 もう4月が近いというのに、雪が舞っている。うっかり春用のコートで出かけてしまった光世は、震えながらクロエ荘の門をくぐったが、門の横に立っている女性を見つけて引き返した。黒いスタイリッシュなコートを着て、敷地の中を覗き込むようにしている。光世より少し年上で五十代くらいだろうか。もうすぐ新年度が始まるから、クロエ荘の入居希望者の見学かもしれない、と光世は思った。本人が入居するのか、京都の大学に受かった子どもの母親か。管理人の黒恵は不在なのだろうか。雪のちらつく中、外で待っているのが気の毒で、光世は女性に声をかけた。

「中、見学されますか?」

 女性はちょっと驚いたように光世を見た。

「わたし、ここの住人なんで。管理人が帰ってくるまで案内しますよ」

「ご親切に、ありがとうございます」

 女性はにこりともしないが、別に機嫌が悪いわけではなさそうだ。素直に光世のあとをついていく。だが、家の中の設備にはあまり興味がなさそうで、きょろきょろ見回すこともないし、質問もない。室内の案内はすぐに終わってしまった。

「5人まで入居できるんですが、今は2人しか入っていないので、静かで快適ですよ」

「たった2人? それで経営は成り立つんでしょうか?」

 初めて出てきた質問がお金の話だったので、光世は面食らった。

「困っているという話は聞いたことはないから、大丈夫なんじゃないでしょうか。あ、あと、家賃収入だけでなく、まかないも作って代金をとっているので、それも少しは足しになっているかと……」

「でも2人分のまかないなんて、毎日作っても利益はたかが知れてませんか?」

 淡々と話す女性の顔を思わずまじまじと見る。悪気はなさそうだった。

「管理人の黒恵ちゃんの作るまかないは、すっごくおいしくて体にいいんです」

 話の流れをぶった切って割り込んできたのは、もうひとりの住人、彩美だった。女性はじっと彩美を見ると、「そう、それはよかったです」と言って表情を緩めた。

 何がよかったのだろうか。まかないがあることが気に入ったのだろうか。光世が首をかしげていると、エコバックいっぱいに食材を詰め込んで帰ってきた黒恵が3人の前に現れた。黒恵は女性を見るとぽかんとした顔で、「お母さん、何でここに?」と、言った。

 光世は動揺してふたりを見比べる。似ていなくもないが、醸し出す雰囲気はまるで逆だ。親子だと言われても、にわかには信じがたかった。

「学会が京都であったから、ついでに娘の職場見学」

「でしたら、ぜひ、黒恵さんのまかないも食べていってください。そこまでしないとクロエ荘を見学したことにはなりませんから」

 光世は半ば強引に母に薦める。先ほど余計なことを言って経営面で心配をさせてしまった。こうなったら黒恵の得意技で挽回してもらうしかない。

「ね、黒恵さん」

 黒恵はしばらく無言でいたが、やがて何かを思いついたようにうなずいた。きっとメニューを考えていたのだろう。一方、黒恵の母は「じゃあ、そうします」と言って食卓に座ると、バッグからノートパソコンを取り出して仕事を始める。

「なんか、似てる……」

 彩美がつぶやいた。光世もうなずく。どちらもマイペースというか、あまり他人の目を気にしないところが共通している。

「よかったらおふたりも食べてください。7時にはできるので、またここで」

 黒恵の宣言で、光世たちはいったん解散する。ダイニングからは、カタカタというキーボードの音と、食材を刻む包丁の音が、ひとつの音楽のように調和したハーモニーを奏でていた。

 包丁の音や魚の焼けるにおいに包まれながら、百合は子どもの頃に返ったような錯覚に陥った。子どもの頃は、母がご飯を作っている横で、宿題をしていた。でもいま台所に立っているのは、母ではなく娘だ。小学生のときからずっと不登校で、ちゃんと生きていけるのかと心配していた娘だった。けれど、今日の黒恵を見て、一目で安心できた。居場所を見つけたという自信に溢れていた。

 もうすぐ7時だ。パソコンをしまって、立ち上がる。

「何か手伝おうか?」

「じゃあ、これ食卓に並べて」

 手渡されたのは大きな皿に盛りつけられたちらし寿司だった。焼いた鮭のピンクと卵の黄色と菜の花の緑がごはんを覆い、春の野原のように色鮮やかだ。

 百合はお皿に顔を近づけてみた。

「なんか、いい香りがする」

「酢飯にハーブのタイムを混ぜ込んであるから。春の揺らぎやすい体調を整えてくれるちらし寿司にした。気血を補ってめぐらせる食材を使ってるから、イライラとか精神不安定とかめまいがある人におすすめ」

 へええと感心しながら、百合はお皿をテーブルの中央に置く。

「あ、ごめん。そういえば、お母さん、こういう蘊蓄聞くの、嫌いだったよね」

 味噌汁を継ぎ分けながら、黒恵が言った。

「そんなことないけど、どうして?」

「子どものとき、よく、おばあちゃんと喧嘩してたから」

 ああ、と思い出して百合は笑う。

「昔はね。今はそんなことないよ」

 黒恵がまだ小さかったときは、母親に対してイライラしていた。でも悪いのは母ではなかった。ただの八つ当たりだった。結婚生活も子育ても仕事もうまくいかず、何もかも思い通りにならなくて苦しかった。そんなときに薬膳の話を聞くと、ちゃんと生活することができていない自分が責められているようで耐えられなかったのだ。あの頃は、こんな穏やかな時間が未来に訪れるなんて、全く想像もできなかった。

 百合はふと、ガスコンロの上に置かれたままの湯気の立つセイロに気がついた。

「何これ? 小籠包? 肉まん? 開けてみていい?」

「まだ駄目! あと5分」

 黒恵がタイマーを見せる。

「セイロ蒸しは、おいしくなるのを信じて、じっくり待つのがコツだから」

「そう……」

 慌てて、手を引っ込める。

(もし、母から料理を教わっていたら、わたしもじっくり待つということを覚えただろうか)

 わたしにはできないことを黒恵はできている、と百合は思った。自分を通り越して、黒恵に母の思想が伝わったことが、少しさみしくもあり、なぜか嬉しくもあった。タイマーが鳴る。はい、いいよと黒恵に鍋掴みを手渡されて、百合はセイロの蓋を開けた。あたたかな湯気に顔が包まれる。しかしその湯気が消えて視界がクリアになった途端、百合は「えっ!?」と、拍子抜けした声をあげた。セイロの中に入っていたのは小籠包ではなく、つやつやの玉ねぎ4つだったからだ。

「新玉ねぎのセイロ蒸し。じっくり蒸すと甘くなってとてもおいしいよ」

 百合の気持ちは萎んでいく。玉ねぎは苦手だった。母の料理にはいつも玉ねぎが入っていて、百合にたくさん食べさせようとしたからだ。

「何で、玉ねぎなの?」

「おばあちゃんから聞いたから……」

「わたしが玉ねぎ好きだって? それ、おばあちゃんの勘違いだから。わたしは特に……」

「そうじゃなくて、お母さんに必要な食材だって」

「……必要? もしかして、玉ねぎも薬膳なの?」

 驚いて聞き返す。

「そうだよ。体のめぐりを整えて、胃腸の働きも助けてくれる。ストレスやイライラによる胃の不調や、体の中に溜まったドロドロしたものをめぐらせて排出するから、心も体もスッキリさせてくれる」

(体の中に溜まったドロドロ……)

 百合は黒恵の説明を反芻する。あの頃、自分は母親の心配する言葉も聞き入れられないほど余裕がなかった。話を聞けない自分に、母は料理を通して話しかけていたのだろう。そのことに今の今まで気づけていなかった。

「わあ、きれい! チラシ寿司?」

 ふたりの住人がやってきて、華やいだ声をあげた。いつの間にか7時を過ぎていた。黒恵が料理を並べ、ふたりが手慣れた様子で箸や飲み物をセットしていく。その光景は、まるで家族のようだった。百合が思い描いていた「普通の家族」とはずいぶん違うけれど、黒恵の楽しそうな顔を見て、これでもいいか、と思える幸せな情景だった。

 その日食べた玉ねぎは、百合がこれまで食べてきたどの玉ねぎよりもおいしかった。きっとそれは黒恵の料理の力だけではない。今まで受け取れなかった愛情をすべて受け入れたからだろう。今度、母に会いにいくときは玉ねぎの話をしてみよう、と百合は思った。

 ◎本日のまかない薬膳

 ・焼鮭と卵と菜の花のハーブちらし寿司

 ・菜の花のゆで汁で作るお味噌汁

 ・新玉ねぎのセイロ蒸し

(つづく)